【長距離トレーニング理論③】ペース走・テンポ走(LT走)― 「中強度の罠」が、ここでは正解になる
罠なのは『中強度』ではなく『意図しない中強度』。 設計された中強度=閾値走は長距離最強の武器です。 ノルウェー式が大量に張るこの領域の中身を開けます。
はじめに
前回、 ジョグの最大の失敗として 「中強度の罠」 を挙げました。 閾値付近をダラダラ走って疲労だけ溜める現象です。 なのに今回はこう言います ― 「中強度に、 大量に張れ」。 矛盾しているように見えます。 先に答えを言っておくと、 こうです。
罠なのは「中強度」ではなく、 「意図しない中強度」。 ジョグが漏れ出して中強度になるのが罠。 設計された中強度は、 長距離最強の武器です。
近年、 この強度域の重要度は上がり続けています。 ノルウェー式が大量に張っているのも、 まさにここ。 今回はその中身を開けます。
1. 何を狙うのか
まず、乳酸の誤解を捨てる
乳酸は疲労物質ではありません。 これは決着のついた話ですが、 現場にはまだ「乳酸が溜まって脚が動かない」というイメージが残っています。 正確には:
- 乳酸はエネルギー基質。 筋・心臓・肝臓で酸化されて使われる、 ちゃんとした燃料
- 乳酸は常に作られている。 安静時も、 ジョグ中も
- 問題は産生量そのものではなく、 産生と除去のバランス
だから「乳酸を出さない練習」に意味はありません。 狙うのは処理能力です。
閾値は2つある
| 呼び名 | 何が起きる点か | 乳酸の目安 | 体感 | |
|---|---|---|---|---|
| LT1 | 有酸素性作業閾値 / エアロビック閾値 | 乳酸が安静値から上がり始める点 | 〜2mmol/L | 会話ができる上限 |
| LT2 | 乳酸性作業閾値 / MLSS / OBLA | 産生と除去が釣り合う最大点。 超えると乳酸は上がり続ける | 従来4mmol/L(後述) | 1時間程度なら維持できる |
この2点で、 強度域は3つに割れます。
Zone 1 | Zone 2 | Zone 3
(LT1未満) | (LT1〜LT2) | (LT2超)
ジョグ | ★今回の主戦場 | インターバル⚠️ ここで最大の混乱ポイント
「Zone 2」という言葉が、 2つのまったく違う意味で流通しています。
- 3ゾーンモデル(ノルウェー式・スポーツ科学系)の Zone 2 = 閾値域(中強度)
- 5ゾーンモデル(心拍計・アプリ系)の Zone 2 = ジョグ(低強度)
「Zone 2トレーニングが大事」という記事を読むとき、 どちらの話をしているのか確認しないと、 正反対のことをやります。 この連載では3ゾーンモデルを使います。
LTを上げると、何がいいのか
LTペースは「長時間維持できる速度」の実質的な天井です。 そして重要なのが、 マラソン・ハーフ・10000mのパフォーマンス予測は、 VO2maxよりLTのほうが強いという点。
- VO2max = エンジンの排気量。 数年で頭打ちになりやすい
- LT = そのエンジンの何%を、 長時間回し続けられるか。 長く伸び続ける
VO2maxが同じ2人がいたら、 レースで勝つのはLTが高いほう。 しかも伸びしろが残っているのもLTのほう。 だからトレーニングの投資先として、 ここが強い。
具体的に何が変わるか
- 乳酸除去能力の向上(MCTの発現増。 隣接筋線維・心臓・肝臓での酸化)
- 速筋線維(Type IIa)のミトコンドリア増加 ← ジョグとの決定的な違い(後述)
- 毛細血管密度の増加
- 脂質酸化が効く速度域の拡張 → より速いペースでもグリコーゲンを節約できる
- レースペース近辺のランニングエコノミー
2. なぜ効くのか
ジョグとの決定的な違い ― 速筋を「有酸素化」する
第2回でサイズの原理(弱い力から順に、 遅筋→速筋が動員される)を扱いました。 ここで効いてきます。
- ジョグ(Zone 1) → 遅筋(Type I)中心。 速筋はほとんど寝ている
- LT域(Zone 2) → 遅筋 + 速筋の一部(Type IIa)が動員される
- 高強度(Zone 3) → Type IIa もフル動員。 ただしキツすぎて長く続かない
Type IIa は「鍛えれば有酸素的になる」線維です。 マラソン後半、 遅筋が疲れてきたときに仕事を引き継ぐのがここ。 つまり、
LT域は「速筋を有酸素的に働かせながら、 最も長い総時間を稼げる強度」
Zone 1では速筋が動員されないので鍛えられない。 Zone 3では動員されるが10分ももたない。 その間のZone 2でだけ、 40分でも60分でも速筋を有酸素的に回し続けられる。 これがLT走の核心です。
乳酸処理系のトレーニング
乳酸を作りながら、 同時に処理し続ける状態を長く維持することが、 処理系そのものを鍛えます。
- Zone 1 → そもそも乳酸がほとんど出ない = 処理系に負荷がかからない
- Zone 3 → 処理が追いつかず蓄積 = 短時間で終わる
- Zone 2(LT2直下) → 出しながら処理する状態を最長時間キープできる = 処理系への総負荷が最大
そして、コストが安い
LT走の疲労は、 インターバルより圧倒的に軽い。 40分のテンポ走と、 1000m×10本。 ダメージが全然違います。 LT走はフィットネスの積み上げに対して疲労の置き土産が小さい。 だから頻度が出せる。 週2回でも壊れないし、 ノルウェー式に至っては1日2回やる。 この「安さ」こそが、 ノルウェー式がここに張っている理由です。
3. どう設定するのか
まず、種類を分ける
| 名称 | 強度 | 時間・量 | 狙い |
|---|---|---|---|
| ペース走(Mペース走) | LT1近辺〜やや上 | 60〜120分/20〜30km | 脂質代謝の高速化、 マラソンの特異性 |
| テンポ走/閾値走(Tペース) | LT2直下 | 20〜40分連続 | LT2そのものの押し上げ |
| クルーズインターバル | LT2直下 | 5〜15分 × 3〜5本(つなぎ1〜2分) | Tペースの総量を増やす |
| ダブルスレッショルド | LT2よりやや下(乳酸2〜3mmol/L) | 午前+午後 | 総量の最大化 |
| プログレッション走 | 後半でLT1→LT2へ | 60〜90分 | 実戦的な粘り |
「20km 3'30/km」がMペース走なのかTペース走なのかで、 狙いも設定も翌日の扱いも全部変わります。 ここを曖昧にしたまま「今日はペース走」と言っているうちは、 意識性の原則から外れています。
強度をどう決めるか
① レースペースから逆算する(最も現実的)
- Tペース(閾値) ≒ 1時間の全力で走れるペース(トップならハーフのレースペース、 市民は10kmレースペース+10〜15秒/kmが目安)
- Mペース ≒ フルマラソンのレースペース
② 心拍:LT2 ≒ 最大心拍の85〜90%、 LT1 ≒ 75〜82%。 ただし心拍はドリフトします。 基準はペース、 参考が心拍です。
③ 主観(実はこれが強い):Tペースの体感は "comfortably hard"。 最強のセルフチェックはこれです:
終わった直後に「じゃあもう1本」と言われて、 行けるか。 絶望するなら、 速すぎです。
④ 乳酸測定:ノルウェー式は 2.0〜3.0mmol/L に収めます。 提唱者マリウス・バッケンは5,500回以上の測定の末、 従来の4mmol/Lでは強すぎると結論づけました。 低めに抑えることで筋ダメージを抑制し、 その分量を大幅に増やせるというロジックです。
🔑 最重要ルール:上げない
大切なのは、 速度が速くなりすぎないようコントロールすること。 そして、 ボリュームはスピードに勝る。(マリウス・バッケン)
「良い練習は良いレースに比べれば何でもない」(ヤコブ・インゲブリクトセン)
LT走は、 追い込む練習ではありません。 ここを間違えると、 後述する失敗①に直行します。
量の目安
- 週あたりのTペース総時間:初級 20分 → 中級 30〜40分 → 上級 60分以上
- 1回の連続走は40分程度が上限。 それ以上やりたいならペースをMペース寄りに落とす
- 総量を増やしたいときは、 ペースを上げずに「分割」する(クルーズインターバル/ダブルスレッショルドの発想)
ダブルスレッショルドの中身(と、市民ランナーへの翻訳)
午前: 5分 × 5〜6本(乳酸 2.5前後) 午後: 1000m × 10本 または 400m × 20本(乳酸 3.0前後) → 1日の閾値走 合計 60〜70分
ポイントは1本1本が「余裕がある」こと。 追い込んだら午後が走れません。 市民ランナーがそのままやるのは非現実的ですが、 思想は移植できます。
- 入口:週1回の閾値40分を、 朝20分+夕20分に割る
- もっと簡単に:テンポ走の設定を 5秒/km 落として、 時間を1.5倍にする
これだけで「速度を抑えて量を取る」というノルウェー式の中核は再現できます。 乳酸計がないから無理、 ではありません。
4. よくある失敗
① レースにしてしまう(最大にして最頻)
テンポ走を「20分のタイムトライアル」にする。 すると乳酸は4〜6mmol/Lに跳ね上がり、 それはもうZone 3の高強度練習です。 何が起きるか:
- 疲労が重い → 週2回できない → 閾値の総量が落ちる
- 翌日のジョグが潰れる → 低強度の量も落ちる
- つまり、 低強度のメリットも中強度のメリットも同時に失う
1本を頑張ることで、 月間の総量を失っています。 ボリュームはスピードに勝る、 の意味はここです。
② 設定が速いことに気づいていない
LT2の推定がズレている/3か月前のレース結果で設定を作っている/調子がいい日に上げてそれが基準になる。 対策:定期的に更新するか、 毎回「もう1本行けるか」で補正する。
③ Zone 2 の混同
前述の通り。 記事を読むときは3ゾーンか5ゾーンかを必ず確認。
④ 「中強度の罠」と区別がつかない
| 罠の中強度 | 武器の中強度 | |
|---|---|---|
| 意図 | なんとなく上がった | 設計されている |
| 時間 | 決めていない | 何分やるか決めてある |
| 目標値 | ない | 乳酸/心拍/主観の目標がある |
| 翌日 | 重い | 普通にジョグできる |
| 頻度 | 週の半分が中途半端 | 週2回、 残りは低強度 |
「ジョグが漏れて中強度になる」のが罠。 「設計された枠として中強度をやる」のが武器。 同じ心拍数でも、 意味が正反対です。
⑤ ジョグを削ってLTを増やす
やりがちですが、 逆効果です。 LT走の土台はジョグ。 低強度8割の構造は変わりません。 閾値の総量を増やしたいなら、 まず全体の走行量を増やす。
⑥ 距離走とテンポ走をごちゃまぜにする
Mペース走とTペース走は、 狙う適応も回復も違う練習。 同じ「ペース走」という単語で呼んでいる限り、 混ざり続けます。
5. 週の中でどう置くか
月:リカバリージョグ 40分 + 補強
火:★閾値(テンポ走 or クルーズインターバル)
※余裕があれば 朝20分+夕20分 のダブル
水:有酸素ジョグ 70分 + 流し
木:有酸素ジョグ 60分
金:リカバリージョグ 40分
土:インターバル or Mペース走
日:LSD 100〜120分閾値の翌日(水曜)に、 普通のジョグが普通にできるか。 できないなら、 火曜が速すぎます。
まとめ
- 乳酸は疲労物質ではない。 狙うのは処理能力
- 閾値は LT1 と LT2 の2つ。 主戦場はその間(3ゾーンモデルの Zone 2)
- 「Zone 2」は2つの意味で流通。 3ゾーンか5ゾーンか必ず確認する
- LTはVO2maxよりレースパフォーマンスへの寄与が大きく、 伸びしろも長い
- 核心は速筋(Type IIa)の有酸素化と乳酸処理系。 Zone 2でだけ両方に長時間の総負荷をかけられる
- LT走はコストが安い。 だから頻度が出せる。 最重要は上げないこと(「もう1本行けるか」で毎回チェック)
次回は インターバル。 ついにZone 3、 VO2maxの領域に入ります。 今回さんざん「上げるな」と言ってきましたが、 上げなければ手に入らないものも確実にある。 その話をします。