レース中の胃腸トラブルを科学で攻略する ― 原因・その場の対処・再発予防
補給しないとエネルギーが切れ、補給すると気持ち悪くなる ― 持久系アスリート最大のジレンマ「レース中の胃腸トラブル」を、データと生理学から攻略します。
ジェルを口に入れた瞬間、こみ上げる吐き気。
後半、お腹がゴロゴロして給水所のトイレに駆け込む。
食べられないからエネルギーが切れ、脚が止まる ―。
マラソン、トレイルランニング、トライアスロン、ウルトラ。 長時間の競技では「動きながら補給する」ことが避けられません。 ところが、 その補給こそがトラブルの引き金になる。 補給しないとエネルギーが切れ、 補給すると気持ち悪くなる ― この板挟みは、 持久系アスリート最大のジレンマのひとつです。
「自分だけが弱いのでは」「特異体質なのかも」と落ち込む必要はありません。 データを見れば、 これはほとんどのアスリートが通る道だとわかります。 この記事では、 まず「どれだけ多い悩みなのか」を確認し、 そのうえで 原因 → 解決策 → 予防策 の順に、 繰り返さないための具体策を整理します。
1. これは"あなただけ"の問題じゃない ― 数字と生の声
数字で見る「胃腸トラブル」の多さ
研究やアンケートが示す発生率は、 想像以上です。
- 持久系アスリートの3〜7割が、 下痢や腹痛など主に下部消化管の症状を経験すると報告されている。
- 約2,000人のランナーを対象にした大規模調査では、 57%が「ランニング中または直後に腹部症状が出る」と回答(下部消化器症状56%・上部15%)。
- 発症率は女性67%・男性45%と、 女性や若年層、 強度の高いランニングで多い傾向。
- フルマラソン完走者の約7割に、 大小の胃腸の問題が起きていたとする報告も。
- 運動関連の消化器症状(Ex-GIS)の発生率は研究により4〜96%と極端に幅がある=それだけ「特定しづらい」症状。
そして見逃せないのが、 この一文。
選手の約8割が「胃腸の調子はコンディションや競技成績に直結する」と感じている。
つまり胃腸トラブルは、 単なる不快感では終わらない。 タイムと完走を左右する、 立派な"競技課題"なのです。
生の声 ― 走力や経験を問わず
「弱いから」ではない証拠に、 走力や経験を問わず同じ悩みが溢れています(以下は各所で語られている声を要約したものです)。
トレイルランナー(40代)
「リタイアの原因の多くが胃腸トラブル。 食べ物を受け付けなくなって、 ハンガーノック気味に動けなくなる。 完走できたレースでも、 40〜50kmを過ぎるとジェルが気持ち悪くなってくる」
市民ランナー(40代・サブ3.5)
「以前は30km過ぎから、 最近は20km過ぎには水も喉を通らなくなり、 嘔吐することも。 胃腸内科でも循環器でも"異常なし"。 薬も給水量の調整も効果がなかった」
著名ウルトラランナーのスコット・ジュレクですら、 自著の中でレース中の嘔吐を「草野球でスライディングするくらいありふれたこと」と表現しているほど。トップレベルでも"普通に起きる"のがこの問題です。 だからこそ「気合いが足りない」で片づけず、仕組みを理解して対策する ― それがいちばんの近道です。
2. 原因 ― なぜ走ると胃腸は"店じまい"するのか
胃腸トラブルがやっかいなのは、 原因がひとつではなく、 しかも特定しにくいこと。 主な要因を整理します。
① 消化管への血流が激減する(最大の生理的要因)
運動中、 体は「走る」ことを最優先し、 血液を活動筋(脚など)へ集中させます。 その結果、 消化管への血流は安静時の約20%まで落ち込むことも。 補給した糖や水分が胃に滞留し、 もたれ・膨満感・吐き気の正体になります。
② 内臓の"揺れ"と着地衝撃
特にトレイルの下りでは、 着地衝撃が胃腸を直撃。 体幹(腹筋)が弱いと内臓がブレて気持ち悪くなり、 消化管出血を起こすこともあります。
③ 頻回補給による胃酸過多・浸透圧の問題
長時間レースでは補給し続けるため胃酸過多に傾きがち。 浸透圧の高い飲料や食物繊維の多い補給食は症状を誘発しやすいことが知られています。
④ 脱水・暑熱
発汗による脱水は、 それ自体が吐き気を引き起こします。 夏場は熱中症が重なり、 嘔吐へ悪化することも。
⑤ ストレス・不安・オーバーペース(自律神経の乱れ)
見落とされがちですが大きい要因。 56kmウルトラの研究では、 競技中の消化器症状の約4割が「競技前のストレスや不安」で説明できたと報告されています。 緊張やオーバーペースで交感神経が高ぶると、 消化機能はさらに抑制されます。
⑥ 補給の"練習不足"と鎮痛剤
普段試していない補給食を本番だけ大量に入れる、 レース中に痛み止め(NSAIDs)を使う ― どちらもトラブルの典型的な引き金です。
3. 解決策 ― レース中に打てる手
✅ ペースを落とし、補給直後は歩く・休む
最も即効性がある一手。 強度を一時的に下げると消化管へ血流が戻ります。 補給直後の1〜3分だけ歩くだけでも内臓の負担はぐっと減ります。
✅ 腹式呼吸で副交感神経をオンにする
お腹を膨らませて吸う腹式呼吸に切り替えると、 過度な緊張がほどけ、 消化機能の抑制がゆるみます。
✅ 受けつける形に補給を切り替える
固形が無理ならジェルやドリンクへ。 それもダメならコーラなど飲めるものへ。 「今の胃が受け入れられるもの」を優先し、 エネルギーゼロの状態だけは避けます。
✅ 飲み物で胃を中和する
アルカリ性に傾きすぎると気持ち悪くなることが。 中性の飲み物で中和を。 「ミルクティーなら飲めた」という声は意外と多いです。
⚠️ やってはいけないこと
鎮痛剤で"無理やり続行"はNG。 大量発汗時のNSAIDs使用は腎臓に大きな負担をかけ、 急性腎障害のリスクを高めます。 我慢できないレベルなら、 潔くリタイアする勇気も実力のうちです。
4. 予防策 ― 次のレースで"繰り返さない"ために
🥇 最優先:ガットトレーニング(腸を鍛える)
胃腸は筋肉と同じく鍛えて適応させられる器官です。 本番で使う補給食・ドリンクを、 普段の練習で・同じ量・同じタイミングで摂る。 継続すると次の適応が起こります。
- 胃内容排出が速くなり、 もたれが減る
- より多くの量を不快感なく受け入れられる
- 糖の吸収を担う輸送体(SGLT1)が増え、 エネルギー効率が上がる
「当日ぶっつけ本番」をやめるだけで、 トラブルは大きく減ります。
🥈 補給は「少量・頻回」を習慣化する
5kmごと、 または1時間ごとなど、 少しずつ・こまめに ― を体に覚え込ませましょう。 「走りながら食べる」こと自体に練習が要ります。
🥉 装備の"揺れ・締め付け"を事前に潰す
当日と同じ重さ・配置で練習し、 補給食は分散して携帯すると安定します。 ザックの胸ベルトの締めすぎにも注意。
その他、効いてくる仕込み
- 体幹(腹筋)強化:内臓のブレを抑え、 下りの衝撃に強くなる。
- 走力に合ったレースプラン:オーバーペースは交感神経を高ぶらせる最大要因。 背伸びしない設定を。
- メンタル・コンディショニング:大会前3日はストレスや不安をセルフモニタリング。
- 暑熱・脱水対策:計画的な水分・電解質補給(塩の直接なめは胃粘膜を荒らすことがあり要注意)。
- (上級者向け)脂質代謝を高める:補給の頻度・量を減らせ、 胃の負担が軽くなる。
まとめ:胃腸は「鍛えて、設計する」もの
- アスリートの半数以上が経験する、 ありふれた競技課題であり、
- 血流低下・内臓の揺れ・自律神経・補給の質など複数の原因が絡み、
- レース中はペースダウン・呼吸・補給の切り替えで凌ぎ、
- 根本的にはガットトレーニングと少量頻回の習慣化で予防できる。
「弱いから」ではありません。 胃腸も、 脚や心肺と同じトレーニング対象。 仕組みを知って先回りすれば、 補給を恐れずに後半まで自分の脚を出し切れます。 次のレースは、 "胃"を理由に諦めないために。
※ 本記事は持久系スポーツに取り組む方への一般的な情報提供を目的としたもので、 個別の診断・治療に代わるものではありません。 症状が強い場合や繰り返す場合、 薬の使用については、 医師・スポーツドクター・公認スポーツ栄養士などの専門家にご相談ください。
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